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女優は40歳が賞味期限!? ハリウッドに巣食う“エイジズム”を考える ~『インディ』シリーズのカレン・アレンが示した座標軸~

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ライター:#谷川建司
女優は40歳が賞味期限!? ハリウッドに巣食う“エイジズム”を考える ~『インディ』シリーズのカレン・アレンが示した座標軸~
『スターマン/愛・宇宙はるかに』©1984 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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オードリー・ヘプバーンの相手役は“父親世代”ばかり?

それは、オードリー・ヘプバーンが映画の中で演じたヒロインの相手役となった男優たちのことを考えてみると明らかで、たとえば『ローマの休日』(1953年)のグレゴリー・ペックは13歳差、『麗しのサブリナ』(1954年)のハンフリー・ボガートとは30歳差、『戦争と平和』(1956年)のヘンリー・フォンダとは24歳差、『パリの恋人』(1957年)のフレッド・アステアとは30歳差、『パリで一緒に』(1963年)のウィリアム・ホールデンとは11歳差、『シャレード』(1963年)のケイリー・グラントとは25歳差、『マイ・フェア・レディ』(1964年)のレックス・ハリソンとは21歳差だ。

麗しのサブリナ (字幕版)

Copyright © 1954 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.TM, ® & Copyright © 2013 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 

1歳差のジョージ・ペパード(『ティファニーで朝食を』[1961年])、7歳年下のアルバート・フィニー(『いつも二人で』[1967年])という例もあるにはあるが、ほとんどがオードリーにとって父親世代くらいの俳優だ。……なぜ、そうなっていたのか?

理由は簡単で、オードリーが活躍し始めた1950年代はじめ頃というのは、第二次大戦が終わってまだ日も浅く、彼女の相手役にふさわしい年齢層の俳優たちは戦争に行っていたため主演スターとしては育っておらず、戦前からのスターたちがそのままスライドして戦後も主演スターで居続けざるを得なかったからだ。

女優は“40歳が賞味期限”というハリウッド村の常識

オードリーが活躍したころの男優の需要と供給のアンバランスさは、戦争という大きな外的要因があったからのことだが、確かに女優の賞味期限という点に関しては昔から大差はなかった。

ハリウッド史上最高の演技派女優としてアカデミー賞主演女優賞ノミネート10回、うち3回受賞という金字塔を打ち立てたベティ・デイヴィスですら、54歳になった1962年に、映画業界誌<Variety>の誌面に実名で「職を探しています」と役の獲得のために個人広告を出さざるを得なかったほどだ。彼女の場合は、それでもその年にサイコホラー『何がジェーンに起こったか?』に出演して鬼気迫る演技で最後のオスカー・ノミネーションを果たしたし、81歳の時の『おばあちゃんは魔女』(1989年)まで現役を貫いた。

それまでのイメージをかなぐり捨ててサイコパスでも魔女でも演じようという女優は日本にもいる。戦前のトップ美人女優だった入江たか子は、40歳を超えてからは生活のためと割り切って“化け猫映画”に次々と出演して「化け猫女優」と呼ばれたりしたが、そういう形でのキャリア維持は日米問わずひとつのテンプレートと化しているようで、現代ハリウッドの大女優メリル・ストリープなども、あるインタビューで「40歳になるや魔女役のオファーを三つも受けて、『わたしのキャリアはもう終わりなんだ』と思った」と答えている。

大映特撮DVDコレクション 25号 (怪談佐賀屋敷 1953年) [分冊百科] (DVD付)

 

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『スターマン/愛・宇宙はるかに』

愛する夫を事故で失ったジェニー。ある夜、山に宇宙船が墜落。物音で目覚めたジェニーは、目の前に立つ何から何まで亡き夫にそっくりな男を見て驚愕する。彼の正体は、人類の呼びかけに応えて友好のために地球に降り立った異星人だった。やがて彼とジェニーの間には宇宙を超える愛が生まれる。

監督:ジョン・カーペンター
出演:ジェフ・ブリッジス カレン・アレン
   チャールズ・マーティン・スミス

制作年: 1984